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生まれてこないほうが良かった 存在してしまうことの害悪 [リベラルアーツ]

人生で一番デカい博打はパチンコでも結婚でもない・・・子育てである。
とは私の論。子供作る気ないけどな!

ただ、今の世代の若者はどうなんでしょうね。結婚どころか恋愛もしたがらない。
割り勘がー、コスパがー、とかみっともないでしょうね、年配の方々は。
人生の多様化が進んだ現代では少子化はどこの国でも起こっていますけどね。
#MeToo運動、インセル、MGTOW、毒親・・・興味深いワードも増えてきています。

子どもを持ちたがらない理由は諸説ありますね。

1.経済的な理由
2.個人的な未熟さ
3.政策の失態
4.国の将来性が見えない
5.そもそも相手がいない

などなど。晩婚化や非正規雇用の増加、年金の破綻、マタニティブルーによる幼児虐待のニュース等、これからの世代の不安材料は多分にある現状にあります。

しかしながら、これからどうなっていくか分からない情勢の中で産めるか!という考えを持っている方も少なくないのです。
そしてこの、「産まれてくる子供のために産まない」という選択が反出生主義者が行き着いた1つの答えでもあるわけです。


生まれてこない方が良かった―存在してしまうことの害悪

生まれてこない方が良かった―存在してしまうことの害悪

  • 作者: デイヴィッド ベネター
  • 出版社/メーカー: すずさわ書店
  • 発売日: 2017/11/01
  • メディア: 単行本



南アフリカ・ケープタウン大学教授のデイヴィッド ・ベネターが執筆した本が和訳されて発売されました。
ただこの本自体はかなり難しい。

この本でベネターが記述しているのは
苦痛があるのは悪く、快楽があるのは良い。(存在)
苦痛がないのは良く、快楽がないのは悪くはない。(非存在)
という事。


子孫繁栄だの愛の結晶だのと使い古されたしきたりや思想を受け継いでは自分たちと同じ老い、苦しみ、病、そして死を与える行為が本当に人道的なのかどうか・・・
今の世代の子どもたちは知っている。親になる前から、親にとって自分が何者なのかを。
というのはアダルトチルドレンに限った話かもしれないですが。
望まれた割には守られない。
彼らは相手を選ばず産め産め囃し立てた結果産まれてきても甘えるなと突っ返される不条理にも気づき始めているのです。

そもそも出産とは何かと言うのは、命のリレーとやらの強制参加です。
なぜ強制なのか。それは産まれてくるであろう子どもにはまだ意識も拒否権もないから。
もし自分が胎児の時点で意識があったならば”自殺”していたかもしれない。
・・・だが、それはあくまでも、これまで生きてきた過程での恣意的な主観に過ぎない。
またこの主張では、出世主義者にとっては攻撃する道具にもなりえます・・・いや、楽観主義的な思考の範疇で攻撃されるのです。
「産んだら変わる」「やってみなければ分からない」
果たしてそれはどうか?

・産んだら変わる
主観としては、本当に変わるのは女性だけだと思っている。男性はただ種を提供したに過ぎず、
頭の中では(嫁・母)、いつまでも女であって欲しいと希う節がある。
極端な環境の変化に弱いのも男の方で、女となり、妻となり、母となる。
それに歩調を合わせて夫となり、父となることが実は困難であり、
いつまでも女を求めるあまり、育児中に風俗に行ったり不倫したりなどする旦那の態度に緒が切れ、
離婚してシングルマザーの道に進む婦人も少なくない。
まして男性の場合、子作り(のようなもの)が好きかどうかに子どもが好きか嫌いかは関係ない。
逆に託児所、保育園や産婦人科の先生方のすべてが出産経験がある、また所望しているとは限らない。
この思考を見極められない女性は何度も同じ不幸を味わうことになる。

・やってみなければ分からない
これを毅然とした態度で言える人間は、その人生で一番デカい博打にトントン、或いは勝ちに乗じてこれた親だけです。
そしてそれもまた恣意的な主観に過ぎず、
やる(子作り)のは親でも、
やる(生きる)のは子どもです。
なぜ出産を喜び、葬式で悲しむのか。それは当事者ではないから。

社会的な見栄や勢いで産んでも手に負えなくなった親も中にはおられますが、
親になれる資格のある人間は、結婚式などの場を借りてでも、
自分の親に生まれて来て良かったと言える人間だけです。
貰ってないものを与えられるほど人は賢くありません。
どうしても産みたければ、将来子どもに「自分はなぜ生まれて来たのか」を考えさせてはならないように努めなければならないと思うし、周囲を見回して格差に打ちのめされない教育や経済力も必要になってきます。
エリートだのカリスマだの、そういったものに敏感な人ほど凡人としての遠慮が垣間見えます。
この国ではコネも賄賂もない人間が出しゃばっても叩かれるだけです。
ホリエモンも細々とビジネス本を出版しているようですが、ライブドア時代の勢いは既になく、鳴りを潜めています。
もしこれを否定するというのであれば、俗な言い方をすれば苦労して産んだ自分の子どもに態々「人生はクソゲーだし」と開き直ってしまうほどの暴論であり、これほどふざけた話はない。
でなくても、第一子誕生の時点で最高に幸せとか言ってる芸能人がたまにおられますが、
自分の幸せのためのツール、つまり付属品であるかのような言い草には敏感になっています。
更に言うとSNSなどのプロフィール画像に子どもだけ載せている親御さん(特に母親)も散見されますが、あれも同じ穴の狢です。私は軽蔑の対象として見ています。
子どもは親の付属品でも、スケープゴートでもありません。まして親の老後の保険でもないのです。

若者はいつの時代も食いつぶされる・・・そんな若者の大多数がやがて親になり、食いつぶす側の人間になり、最近の若者はと敵意をむき出しにする、そんな世の中がいずれ来るでしょう。「老害」という翻訳不可能な日本語も出てきたのでもう来ているのかもしれない。
その負の連鎖を止める、つまりやられて嫌なことはしない、という順当な理由だけでも反出生主義は説明できてしまうのです。

少し前の話ですが、米・トランプ大統領が世界各国で人工妊娠中絶を支援する非政府組織(NGO)への助成を禁じる大統領令に署名したことで多くのフェミニストの反感を買ったそうですが、
本書の第5章には人工中絶賛成派の見解として書かれています。

我々が生きている間にも、暑ければ汗を掻く、寒いと鳥肌が立つ、湿気が強いとベタベタする、食事をしたり排泄をしたり睡眠まで取らなければならない。
こういった、無意識のうちに起こる、また生理的な不快をベネターは一歩踏み込んで「苦痛」と表現している辺りが面白い。
当たり前のようにしている事ですが、それをしないと死んでしまう訳で、
生まれてこなければ快楽はないが、上記のような微々たる不具合が生じる事もありません。
これは上記の文の、
苦痛があるのは悪く、快楽があるのは良い。(存在)
苦痛がないのは良く、快楽がないのは悪くはない。(非存在)

にも当てはまり、やはり産まれない方が良いのではないか、となる訳です。この分厚い本の中で言われている重要なメッセージなので二度載せました。
しかしながらこの本、実際に反出世主義を志した人たちがこれからどうあるべきか、といった事はほとんど書かれていない。
既に産まれてきてしまった子どもに関しては丁重に接する必要があり、
この主義を無闇に教え込ませてはならない。自分の出世に疑問を持ち始めたその時から、子どもの人生は大きく曲がってしまうと私は信じてやまないからだ。
そして既に生きている人たちは始める価値はなかったが、続ける価値のある人生を享受するしかないのだろう。
あくまで本書は哲学書であり、人口が減ると1人あたりのQOL(人生の質)が上昇する。
が、あくまで自分は人類の人口は0、すなわち絶滅が相応しい、その理由を述べているに過ぎません。
今の自分たちがその最期の世代になることはまず有り得ないでしょうけども・・・

最後に各章ごとの冒頭にでてくる格言を載せて締めることにします。

生はあまりにも酷い。生まれてしまわない方が良かっただろうに。 誰がそんなに幸運なのか?そんな奴は今まで一人もいないのだ! 
―ユダヤ人の格言―

決して生まれてしまわないことが最善なのだ。 だがもし私が日の目を見なければならないのであれば、 次に最善なのは、私たちが来たところまで戻ることだ。 全く馬鹿げたことばかりして、青春時代を過ごしたと場合、 誰が諸悪によろめかずにいられるのか?誰が諸悪から逃れられるのか? 
―ソフォクレス―

眠りは良いが、死はもっと良い。だが、勿論、 最善なのは全くもって決して生まれないことだろう。 
―ハインリッヒ・ハイネ―

きみは人生を存在しないという祝福された平穏を破るムダな物語だとみなすかもしれない

もし純粋理性のみが行為することで子どもが世界に生じさせられたなら、ヒトという種族は存在し続けていただろうか? 
―アルトゥール・ショーペンハウアー―

生まれてしまったという事実は、不死への不吉極まりない兆しである 
―ジョージ・サンタヤーナ―

哲学者たちは・・・苦しむ人類が増えるように駆り立てるのではなく、 少数の個人個人に幸せを提供することにもっと没頭するべきなのだ。 
―ヴォルテール『カンディード』の登場人物 マルチン―

この世に誰かを生まれさせるということを考えるたびに、私は恐怖でぞっとします・・・・・・ 私の肉体が完全に無くなりますように!私の存在の退屈と屈辱を決して誰にもうつしませんように! 
―ギュスターヴ・フロベール―

私の生まれた日は呪われよ。母が私を産んだ日が祝福されてはならない。その男は呪われよ・・・なぜなら私を子宮の中で殺さなかったから。母が私の墓となり子宮は大きいままでいられるように。なぜ私は苦労や苦痛に直面するために子宮から出てきたのか?
―エレミヤ書20章14-15.17.18節―

そしてヨプは言った。「私が生まれた日なんて消え失せてしまえ。そして「男の子を身ごもった」と告げた夜も。その日は闇になるがいい・・・夜は暗闇にとらえさせるがいい・・・なぜなら母の子宮の扉を閉ざさなかったから・・・どうして私は子宮で死ななかったのか?どうして私はその腹から出てきた時に滅されなかったのか?・・・この今も横たわり黙っていることができたのに・・・または、早産で葬られた子のように存在しないでいられたのに、決して光を見ることのない赤ん坊のように」
―ヨプ記3章2-4.6.10.11.13.16節―

そして私は、まだ生きなければならない生者よりもすでに死んでしまった死者を湛えた。 また、そのどちらよりも良いのは、生まれてこなかった者だ。太陽の下で為される悪行を見ずにすむのだから
―「伝道の書(コレヘトへの言葉)」4:2-3―


タグ:反出生主義
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