ラフマニノフ自作自演~ピアノ協奏曲第2番・3番 [協奏曲]
- アーティスト: ラフマニノフ(セルゲイ),ラフマニノフ,ストコフスキー(レオポルド),オーマンディ(ユージン),フィラデルフィア管弦楽団
- 出版社/メーカー: SMJ
- 発売日: 2012/12/05
- メディア: CD
2番はストコフスキー@フィラデルフィアo. 録音は1929年4月。
3番はオーマンディ@フィラデルフィアo. 録音は1939年12月と1940年2月。
ラフマニノフ(p)
元々はRCAだが、手元にあるのはSONYが出したBSCD2という最新のリマスタリング技術を駆使した一枚。
私は残念ながらLPの音を聴いたことがないが、全体を通してのくぐもった音質がまろやかで味わい深く、クラシックを聴くと眠くなる所以がよくわかる。
裏を返せば現代の音が鮮明過ぎるのか。しかしクラシックの歴史は江戸時代以上もある為、当時の音を現代に持ち越すことは無理に等しい。楽器も日々進化を遂げている。
そういった中で、戦前の録音のリマスタリングで自身の録音ともなると素晴らしいものを遺していってくださった、という感が強い。
演奏自体は早め。疾走するかのようだが、テンポを自在に操ってみたり和音を崩す、などの変幻自在なアプローチが際立って特別性を抱かせる。今まで感じてきた印象とかなりのギャップがある。
もっと、こう大河的で壮大なスケールで、演歌歌手ばりのタメと捻りを使った陶酔した演奏かと思っていたが、予想外のテンポで淡々と、常人よりも一回り大きな手でしれっと叩いてしまう。意味合いは同じだが、ピアノと言うよりハンマークラヴィーアな演奏だ。
ショパン:ピアノ協奏曲第1番・2番 [協奏曲]
昔はチェロ・ソナタがあることでもびっくりしましたが、協奏曲がある事にもびっくりしたわけです。
昔、どなたかの記事でちらっと小耳に挟んだ記憶もありますが。
学校ではショパン=ピアノという構図でしたから、あまり深くは教えて貰えませんでしたね。
さらにショパンやモーツァルトは女の子向けだという偏見も昔はありましたが、やはりそれは偏見の域でしかなく、恥じる次第であります。
さて、自分の最近の変化をさらっと言っておくと、久しく地元や隣町のCDショップで漁っていましたが、
地味に協奏曲が増えてきた次第になります。
このあたりで本題。
シャルル・デュトワ@モントリオールso.
マルタ・アルゲリッチ(p)
思った以上の名演ですね。協奏的な意味合いでは貧弱というイメージが強いですが、ピアノにおける詩的でロマンチシズム溢れる旋律はいかにもショパンらしい。
どちらかといえば第1番が好みですね。あたかも自分に品格があるように錯覚してしまう程の上品さは他では中々味わえない。
尤も、クラシック音楽というのはマニアほど、自分のような存在こそクラシックが相応しいという偉人ぶった人が多いが(元々は貴族に聴かせる音楽でしたから仕様だとしても)、しかしながらその心理を否定するつもりはありません。
演奏的には相変わらずの我が道を行くスタイルのアルゲリッチに対し、前夫のデュトワは後援のサポートに徹している印象を受けるものの、例の喧嘩したりくっついたりというアルゲリッチの個性はここではなりを潜めているように思える。
どちらかといえば、私が後ろについているから好きにやりなさい、という表現の方が合っているような気がする。
中学の耳コピ時代に丁度デュトワがN響就任していた頃なので、そういう意味で懐かしんだ動機が大きい一枚。
アルゲリッチほど人気で知名度があるということは、逆にそれなりにアンチも存在する。
個性があるということは逆に合わない曲もあったりもするものの、この録音から30年前のアバド@ロンドン響もちょっと聴いてみたいですね。なかなか興味をそそる内容でした。
昔、どなたかの記事でちらっと小耳に挟んだ記憶もありますが。
学校ではショパン=ピアノという構図でしたから、あまり深くは教えて貰えませんでしたね。
さらにショパンやモーツァルトは女の子向けだという偏見も昔はありましたが、やはりそれは偏見の域でしかなく、恥じる次第であります。
さて、自分の最近の変化をさらっと言っておくと、久しく地元や隣町のCDショップで漁っていましたが、
地味に協奏曲が増えてきた次第になります。
このあたりで本題。
- アーティスト: アルゲリッチ(マルタ),ショパン,デュトワ(シャルル),モントリオール交響楽団
- 出版社/メーカー: TOSHIBA-EMI LIMITED(TO)(M)
- 発売日: 2007/06/20
- メディア: CD
シャルル・デュトワ@モントリオールso.
マルタ・アルゲリッチ(p)
思った以上の名演ですね。協奏的な意味合いでは貧弱というイメージが強いですが、ピアノにおける詩的でロマンチシズム溢れる旋律はいかにもショパンらしい。
どちらかといえば第1番が好みですね。あたかも自分に品格があるように錯覚してしまう程の上品さは他では中々味わえない。
尤も、クラシック音楽というのはマニアほど、自分のような存在こそクラシックが相応しいという偉人ぶった人が多いが(元々は貴族に聴かせる音楽でしたから仕様だとしても)、しかしながらその心理を否定するつもりはありません。
演奏的には相変わらずの我が道を行くスタイルのアルゲリッチに対し、前夫のデュトワは後援のサポートに徹している印象を受けるものの、例の喧嘩したりくっついたりというアルゲリッチの個性はここではなりを潜めているように思える。
どちらかといえば、私が後ろについているから好きにやりなさい、という表現の方が合っているような気がする。
中学の耳コピ時代に丁度デュトワがN響就任していた頃なので、そういう意味で懐かしんだ動機が大きい一枚。
アルゲリッチほど人気で知名度があるということは、逆にそれなりにアンチも存在する。
個性があるということは逆に合わない曲もあったりもするものの、この録音から30年前のアバド@ロンドン響もちょっと聴いてみたいですね。なかなか興味をそそる内容でした。
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